ヨットにおける”幸せ”の変化

"幸せって何だろう”という角田光代のエッセイがJAF MATEに連載されている。毎回楽しく読んでいるが、最新号2月3日号の「しあわせの種類」はふに落ちるところも多く、何度も読み返した。ひるがえって私に取ってのヨットの幸せを考えてみた。

50年余り前に初めて佐島でヨットに乗った時、舵と帆を操っての操船の快感は感じた。しかし、スクールやクラブに入って自分だけでヨットをやろうとは思わなかった。自分で操縦する乗り物としては車に勝るとは感じなかったということだろう。それから3年が経ち、大学の仲間に誘われて小型ヨットを買って乗り出した。誘われた時は以前に乗った時の悪くない印象は残っていたのだろう。いざ始めると、8人の仲間の中で一番乗るようになった。道路、車線、標識やルールで制約が多い車よりも自由に動かせる感じが気に入った。セールに風を受けて走り出すとその力強さには毎回のように感心するし、快感を覚える。スピードが出れば、肌に感じる風やしぶきでも快感を強く感じる。それから何年かたってエンジン付きのクルーザーに乗るようになって感じた幸せは、出港し湾を出てセールを上げてエンジンを止めた瞬間だ。静寂が訪れると同時に、セールをつめて風を受けるとヒールとともに加速する。これは間違いなくヨット乗りなら誰でも感じる幸せだろう。

もっとも強風で荒れた時だと、その瞬間は幸せを感じる余裕はない。無事セーリングを終えて、湾に戻りセールを下ろした時にほっとして安堵感を感じる幸せがある。1986年に大島波浮港から10時間ほどかけて帰ってきたときの無事セーリングだけで帰ってきたという満足感と幸せは忘れられない。しかし、こういう幸せは結果であって出発前に期待するものではない。レースでも同じような経験はある。

この10年、だんだんと臆病になりこのような幸せを求めてのセーリングを求めなくなっていると自覚している。シングルハンドで乗るようになった頃は、快適に江ノ島に向けてセーリングしている時などに、こんなヨットにひとりで乗れるのは幸せだなあと感じた。しかし、シングルハンドは何かあった時の対処がどうしても2人以上に限られるので、慎重にそして臆病になる。ヨットが船齢を重ね20年を超えると、故障や壊れるところが出てくる。できるだけ予防保全を心がけていたが、完全ではない。ある年、伊東からの帰りで風がかなり強まった。3人で乗っていたが、私以外の2人はあまり技術的にも体力的にも信頼はできなかった。そして、2人は寝てしまった。1人で操船を続けた。そういう時は、もしあれが壊れたらどうしよう、油壺まで無理だとしたらどこへ逃げようとか色々なことが頭の中をめぐる。このときも無事帰港したが、実質的にシングルハンドで帰ったという充実感があり、幸せだった。

去年まででCorpusの安全上気になる点はほとんどクリアできた。今年はもっと乗れる、穏やかな幸せを感じられるセーリングを楽しみたい。そして、ほかの人にもヨットはいいなと感じてもらえる機会を作りたい。

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